うまくはなせない

話す相手がいないので、主に仮面ライダー関連の記事を書いてます

仮面ライダージオウ 龍騎編 感想 22話にして「ジオウ」という番組の完成形を見てしまった

 


小学五・六年生の時、私は動画配信サービスで「仮面ライダー龍騎」を見始めた。

 

かっこつけたい年頃だったので、龍騎のビジュアルのかっこよさや、カードゲームのように戦うアクションシーンではなく、作品内の名言や人間関係について語っていた(話せる人はいなかったので脳内で)。

当時は、話の流れを漠然と理解していただけで、テーマやキャラクターの葛藤なんてこれっぽっちも理解していなかったが、「仮面ライダー」と言う番組の「仮面ライダーそのもの」以外を語ることが通っぽい、という周り(ネットやらなんやら)に影響ダダ受けな考えがあったのだと思う。

 

思い出す度に顔を覆いたくなる過去だが、「龍騎」はいつもそんな思い出と一緒に頭に浮かび上がってくる。

その「龍騎」が先週と今週のジオウに出て来るということで、どんな話になるのかと、期待せずにはいられなかった。そして(少し長くなりましたが)、期待以上のモノを見せてもらって大満足してます、というだけの記事です。

 

  • ジオウと龍騎の完璧な融合

 

「ジオウ」のレジェンドライダーたちの立ち回らせかたには、いつも目を見張っているが、今回「龍騎」という作品をジオウの物語に組み込み、昇華させた脚本に拍手と感謝を贈りたい。

 

どんなに人を助けようと、どんなに人の道から外れた行いをしようと、そこに正義と悪の二元論はなく、「そこにあるのは純粋な願いだけである」

本編の真司が、「ライダーの戦いを止める」行為を、善悪の関係ないただ自分の叶えたい「願い」であることに気付き、その「愚かさを受け入れる」ことを「ジオウ」のテーマに持ってくる。真司の気付きがソウゴの成長に繋がる構成に、「は~」と感嘆の声を上げながら画面に見入っていました。

 

真司とソウゴの「人(民)を助けたい」という気持ちも、見方次第で独りよがりの偽善者に映るかもしれない。でも、周りを振り切ってでも叶えたい「願い」だけが変えられるモノがあることを、「龍騎」が教えてくれた。結局、人を最も能動的にさせるのは、自分自信の欲。真司の愚直さが無ければ、ライダー同士の戦いは果てのないものになっていただろう。

 ソウゴが真司と同じ壁にぶち当たり、真司が「龍騎」を通して得た「気付き」に基づいて助言する。その助言で、最後に自分の「願い」に気付いた真司のように、自分の負の側面を持ったミラーソウゴから目を背けずに向き合ったソウゴ。

 

私事ですが、正義感の強さが全面に出ていた子供時代だったので(自分でいうのスッゴい恥ずかしいですが)、真司には特に感情移入していました。その真司が自分の後を継ぐソウゴにアドバイスする。この事実だけで、ジーンときちゃうんですよね。

「新旧主人公の掛け合い」って、エモーショナルな演出の究極系だと思ってるんですけど、少しでも解釈違いや引っかかりがあると、作品全体が陳腐に見えてしまう危険もあるんですよね(期待の裏返し故に)。

 

今回のジオウはこの「新旧主人公の掛け合い」があまりにも完璧なんですよね。

「ジオウ」は、ソウゴやゲイツの成長を主軸に、レジェンドの要素を組み込んでいくという、あくまで「ジオウ」の物語を最優先に作っていて、最初はその割り切りの良さに感心していたんですが、オタクという生き物はどこまでも我が儘なんです、ごめんなさい。

やっぱり、「もうちょっとレジェンドの活躍見たいな~、プッシュして欲しいな~」と思う俺の中の俺の声が漏れ出てくる。特にウィザード編を見直せば見直すほど、「仁藤を・・・ほんと、あとちょっとでいいんで・・・ちょっと・・・」という居た堪れない感想が浮き出てしまう。

その「ちょっと」のさじ加減が本当に難しい所だと素人考えで思っていたんですが、龍騎編では、真司を話しの本流に置くことで、ジオウと龍騎の要素のバランスが自動調節され、番組の面白さを何の隔たりもなく受け止められる土台を作った。その上で、話のカタルシスとレジェンドの登場、この二つの相乗効果で滅多打ちにされれば、抵抗むなしく(オタク特有のあの)ニヤけてしまうんですよね。

 

そして、「仮面ライダーの歴史が無くなってもライダー達は同じ道(答え)を辿る」という作品内のルールが、カタルシスの増大に一役買っていましたね。この設定は、物語に若干乗れなくなる側面も持っていましたが(アンクが居なくても映司は欲望の叶え方に気付いちゃってる問題)、こと「龍騎」に関しては、既にライダーが消え去った後なのでそこに詰まることが無く、制作側の情熱に迷い無く殴られに行けた訳です。要素の絡ませ方が上手いんですよね、本当に。

 

  •  ソウゴの「王になる」夢が現実に

 

ソウゴが、レジェンドライダー達の(1年間かけてやっとの思いで手に入れた)気付きを着々と自分の血肉にしているのが、彼が魔王になる未来が確固たる事実ということを信じさせますね。奧野壮さんの演技が、ソウゴの若者としての側面も見せてくれるので、「(今のソウゴより)更に成長するのか・・・」とソウゴの底知れ無さを自然に感じられるんですよね。

                                       ジオウⅡのデザインは、ちょうどジオウとオーマジオウの「第二形態」のようで(実際そうなんだけども)、ドラマもそこに重点が置かれているので「納得感」があって好きです。                                     既に最強フォーム然とした戦い方に加え、(ライダーの歴史的にも久しい)「爆音」の挿入歌を流されたら、盛り上がれない訳ないです。台詞とか武器の音声が全然聞こえないあの感じ、懐かしかったですね。

 

 

 

真司と編集長の絡みを最後に持ってくるのが、本当に憎いですね。水面に映る真司から、鏡の中の自分をしっかり受け止められたことが分かる演出も「EPISODE FINAL」のリュウガの顛末を知っていると、その・・・来るんですよね。

ライダーの戦いが起こった世界では、真司が唯一殺めたライダーがリュウガ(私達の知りうる限り)なんですが、戦いを止めたことが回り回ってリュウガとの和解に繋がっている、という。戦いが無くなった世界でかつてのライダー達が画面に映るあの感動をまた味わえるとは思ってなかったですね。始めに言ったように、私が龍騎を見始めたのは放送から何年も経った後なので、当時見ていた人はひとしおでしょう。

 

未来ライダー編からも勢いそのままに物語を展開していく「ジオウ」。次回からはツクヨミにも話のフォーカスが寄りそうなのでそこも含めて期待していきたい。